「いつまでも輝き続ける島」を目指して
岡山県笠岡市北木島 鳴本浩二
瀬戸内海に浮かぶ笠岡諸島は、 岡山県の南西部に位置し、大小 三〇有余の島が香川県の多度津 町との間に点在しています。そ のうち、人が住むのは、本土側 から高島、白石島、北木島、真 鍋島、小飛島、大飛島、六島の 七島です。
笠岡諸島の人口は三二〇〇人 余。昭和三〇年代には一万人を 超えていましたが、人口の減少 は加速するばかりです。さらに、 高齢化率は四九%と典型的な過 疎・高齢化の島になっています。 しかし、そこに住む人たちは、 自分たちの島づくりを自らの手 で行い、いつまでも輝きつづけ ようと必死に頑張っている、と ても人間的でドラマチックな島 です。
島の大運動会
平成九年、過疎・高齢化が進 展する中で、「このまま何もし なければ、島はいずれ沈没して しまう」、「島を再生するために は自分の島のことだけを考える
のではなく、個性を持った各島 が手を取り合い一丸となって将 来を考えていこう」という志を 持った仲間が集まり、「島をゲ ンキにする会」を結成しました。
諸島全体で一五名のメンバーで 発足し、連日酒を飲みながら 「島に何が必要なのか」「どうす れば活気を取り戻せるか」と大 きな風呂敷を広げて話をしてい
ました。話が盛り上がり、会長 を決めることになった時、「小 さなことは気にしないで大胆な 発想ができる人」さらに「酒が 強くて暇な人」という、良いの
か悪いのかよく分からない理由 で、私「鳴本浩二」が会長に選 ばれました。
仲間の中から、「白石島には 海水浴場があるけどどれくらい の広さなん?」とか「大飛島に は砂洲があるらしいけど、砂洲 言うたらどんなもんなん?」と
いう話になり、ほとんどの人が 自分の住んでいる島以外は知ら ないことが分かりました。そこ で、「順番に島を巡り、お互い を知ることから始めよう」「みんなが参加できることをしよ
う」ということで、子どもから お年寄りまで楽しめる運動会を 開催することになったのです。
名付けて「島の大運動会」。 「島をひとつに 心をひとつに」 をテーマに掲げ、平成一〇年の北木島を第一回に、白石島・真 鍋島・高島の順で行い、毎年l
000人を超える参加がありま す。島に住む約一三〇人の子ど もたちから、この日を楽しみに している九〇歳のお年寄りまで、 島挙げての運動会は年々盛り上
がりを増すなかで、諸島全体の 行事として定着しています。
平成一四年五月一五日(日)、 「第五回 島の大運動会」は大 飛島で開催されました。午前五 時、深夜から降り続く雨は、や む気配がありません。私はとり あえず会場の大飛島へ行きました。 するとどうでしょう。雨が降 りしきる中、チャーターした客 船や海上タクシー、漁を終えた ばかりの漁船などが続々と大飛 島へ向かってきます。接岸した 船からは、カッパを着た選手や 応援団、婦人会の人たちが桟橋 に降り立ち、会場へ向かってい るではありませんか。私の驚き をよそにみんな黙々と会場の準 備を始め、雨の中でも運動会を 決行するという気迫が痛いほど 伝わってきました。しかし、高 齢化率四九%の諸島ですから、 応援に来ている人は大半がお年 寄りです。雨に濡れて風邪をひ きはしないかとの心配もありま した。実行委員によるミーティ ングを開き対応を協議していた ところ、天も私たちの気持ちを 察したのか、雨が小降りになっ てきました。会場に集まった仲 間たちは黙って私のほうを向き、 「これぐらいの雨で中止にして どないすんや! こんな時こそ 島の底力を発揮するときや!」 と熱い視線を送るのです。 小雨になったということもあ って運動会の決行をアナウンス すると、水たまりとなったグラ ウンドに土を入れる人、バザー の準備をする人などで、会場は てんやわんやの大騒ぎとなりま した。会場の準備も終わり、開 会式を向かえるころ、再び降り 出した大粒の雨。午前中は降っ たりやんだりのはっきりしない 天気でしたが、昼になると私た ちの熱気に圧倒されたのか、天 を覆っていた厚い雲は消えて澄 みきった青空が広がり、まばゆ いばかりの太陽の光が私たちを 包み込みました。
雨の中で始めた「第五回 島 の大運動会」は、私たちの心配 をよそに、島の人たちの熱気で 今までにない盛り上がりを見せ ました。競技は、砂洲が広がる
砂浜から出発する「シーカヤッ クレース」で始まり、飛島名物 「手打ちうどん早食い競争」、毎 年女性の織烈な戦いが繰り広げ られる「タイヤ取り競争」では
けが人が続出、シャツが破れる アクシデントも起きました。幼 児と高齢者による「宝釣り競争」 は、世代を超えたふれあいが会 場をほのぼのとした雰囲気にさ
せてくれます。六島対抗(大飛 島と小飛島を合わせて飛島チー ム)で盛り上がるのは、「綱引 き対抗戦」と「年代別リレー」 です。これは島の力の差が一目
瞭然なので、選手も応援団も手 に汗を握り会場は一気に白熱し てきます。特に最後の種目であ る「年代別リレーは圧巻です。 小学生から六○代のおじいちゃ
んまで力を振り絞って走る姿は、 会場にいるみんなに気力と勇気 を与えてくれます。
地元飛島の優 勝で終えた「第 五回 島の大運 動会」は歴史に 残るといっても 過言ではないほ どの大成功を収 めました。閉会 式で飛島の監督
が「今日は、飛島チームが優勝したことよりも、 雨の中、大勢の人が大飛島に来 てくれて運動会を開催すること ができ、そして、こんなに盛り 上がった運動会になったことの
ほうがうれしく思います」と挨 拶されたときは、私も目頭が熱 くなるのを感じました。この日、 私たちは、どんなに雨が降って いようが、雲が厚く覆っていよ
うが、その上には必ず太陽が輝 いていることを再認識し、「行 動する勇気、失敗を恐れない勇 気」がいかに大切か身をもって 知りました。
笠岡諸島では、産業が衰退し 人口が減少する一方だと人は言 いますが、そんな暗い状況も、 島に住んでいる私たちが勇気を 出し力を合わせ払拭し、島の人
たちが光り輝く島づくりを目指 すとの想いを強くしました。
女性ネットワーク
『笠岡諸島生き活き会』
前述した「島の大運動会」を 行っていくなかで、島の女性た ちから「女性はお手伝いをする だけでなく、企画運営に積極的 にかかわっていきたい」という 声が上がってきました。振り返 ってみますと、運動会の実行委 員は男性ばかり。男性が決めた ことを女性に手伝ってもらうと いう、旧来の男性社会の構図が ありました。
女性たちから頼もしい声が上 がってきたので、早速、実行委 員に加わっていただき、競技に ついてはもちろんのこと、バザ ーや昼食などに女性から見たき
め細やかな意見を出してもらい、 今では運動会を盛り上げるため になくてはならない存在となっ ています。
平成十一年「第二回 島の大 運動会」を契機に発足した女性 グループは、名前を「笠岡諸島 生き活き会」 (通称、生き活き 会)とし、島に住むすべての女
性を会員としています。真鍋島 に住むパワフルお姉さん(?) の森本洋子さんを会長に、頼れ るお姉さんこと白石島の天野香 代子さんと、ガッツが自慢の北
木島の原田美津恵さんが副会長、 会計は、何事も節約が大事をモ ットーにする北木島の近江美加 子さん、この四人と各島からの 代表を合わせて十二名の役員を
中心に活動を行っています。
活動は、島づくりについて女 性のできることは何かを考え、 良いアイデアは行動に移すこと を基本姿勢とし、過去三年間で さまざまな取り組みを行ってき ました。
特徴的なものは、平成十三年 一月に行った諸島全体の女性を 対象にしたアンケート調査です。 これは、島での生活・仕事・保 健福祉・生きがいなどさまぎま
な分野の調査項目を設定しまし た。そして、その意見は日本で 初めて市独自で策定した「笠岡 諸島振興計画」に反映されてお り、女性の意見が市の政策に取
り入れられるという画期的なこ ととなりました。
また、笠岡諸島には小学校が 五校ありますが、いずれも少人 数です。そこで、平成十三年三 月には、諸島の子どもたち全員 が白石島へ集まり「子どもニュー
スポーツ大会」を開催しまし た。ユニホックやソフトバレー といった簡単に楽しめるスポー ツということもあり、子どもた ちは打ち解けるのが早く、隣の
島の子どもたちとチームを作り 夢中になってポールを追いかけ ていました。参加した保護者か ら、「来年は大人も楽しめる種 目を取り入れ、子どもと大人の
大会にしよう」という提案があ り、今年はグラウンドゴルフや ペタンクを加え、子どもからお 年寄りまでいい汗を流しました。
運動会でのバザーは、それぞ れの島の味を持ち寄りとても好 評ですが、「島の味を島外の人 にも知ってもらいたい」という 声が上がってきました。島は豊
かな自然に恵まれ、海産物や野 菜は一味違うおいしさがありま す。本土で販売することは島の 情報発信になり、島のファンを 増やすことにつながります。そうするとその味を求めてお客さ
んが島へ来てくれるようになり、 観光業も発展するのではないか との思いもあり、今年七月から、 笠岡で毎月開催されている「お かげ市」 (縁日) のフリーマー
ケットに出店するようになりま した。魚の一夜干しや乾燥エビ、 シソで作ったシソジュース、甘 いサツマイモで作ったスイート ポテトなど素朴な島の昧が好評
で、いつも完売です。「おかげ 市」に来られる方も、「きょう は何があるの」と声を掛けてく ださり、なじみのお客さんもで きました。 また、「おかげ市」には島か
らも大勢の人が訪れますが、島 の人が生き活き会のテントヘ来 て「私も売ってきてあげるわ」 と商品が入っている段ボールを 持って人ごみの中へ消えていき
ます。しばらくして、「ほら全 部売れたでぇ」と二コニコしな がら帰ってきます。生き活き会 の「おかげ市」は、島人の人情 と心意気に支えられています。
生き活き会の活動を通して、 私は女性の持つ柔軟な創造力と 底知れぬパワーに脱帽するとと もに、島づくりにおいて女性の 参画がいかに必要であるかを実
感しています。
笠岡諸島情報紙 『しまかぜ』
笠岡の島々では、ボランティ アグループや公民館が、島内の 出来事やお知らせなどを毎月新 聞にして各家に配布しています。 とりわけITの先進島である真鍋島は、島内のみならずインタ ーネットを通じてバーチャル村 民になっている人たちにも郵送 しています。島内新聞は情報発 信として好評ですが、各島から 「自分たちの島のことはよく分 かるけど、ほかの島のことも知 りたいね」「今度こんな行事が あるんだけど隣の島にも教えて あげたいね」という声が上がっ てきました。 そこで昨年一二月、各島の公 民館が結集し「笠岡諸島情報ネ ットワーク」を立ち上げ、毎月 一回、北木島にメンバーが集ま り会議を開いています。会 議では、島の行事、島で活躍し ている人、島の伝統文化など幅 広い分野の情報を集め、一枚の 新聞にまとめていきます。新聞 は家庭に配布するほか、公民館 や港など人の集まる場所に置い ています。すると、お盆や彼岸 に帰省した人たちにも読んでも らえて「笠岡の島はええことを しょうるねぇ」と大変喜ばれて います。また、笠岡市のホーム ページにも掲載されており、都 会へ出て行った人たちからも「ふ るさとをなつかしく思います」 とか「おじいちゃんおばあちゃ んが住んでいる島のことが分か ってうれしいです」といった励 ましの声をいただいています。 各島の新聞をはじめ笠岡諸島 の新聞を多くの人に読んでいた だくことで、近くの人も遠くの 人も関係なくみんなの心が通い 合い、島を愛する気持ちが一つ になるような気がします。
電脳笠岡ふるさ島づくり海社
昨年四月、笠岡諸島に頼もし い助っ人が三人やって来ました。 その名も「島おこし海援隊」で す。彼らは市役所の職員で、島 の活性化なくして笠岡の未来は
ないと考える高木笠岡市長が、 「島おこしに頑張っている人た ちの力になりたい」という想い から市長特命として精鋭の職員 を投入してくださいました。
私たちは、今まで取り組んで きたことをベースに今後どのよ うに発展させていくかを考えな い日はありませんでした。島づ くりを行う主人公は島の住民で
すが、市役所の支援もいただき 協働したほうが加速度を増すの ではないかという気持ちもあり ます。海援隊の三人とは日ごろ からこのようなことを話し合い、
島の将釆に向けた取り組みを模 索してきました。 島の大運動会を通じて七つの 島の絆はより強いものとなり、日出耶一9ス三.しとにLd′.7、せ⊥7の辻ヰC
れる力の大きさを知っています。 また、女性のパワーを島づくり に生かす必要性も感じています。 島の将来について仲間との話 し合いを重ねるなかで、諸島全
体を一つの会社組織と見なし、 島のために働けば何らかの利益 が上がる仕組みをつくれば、ど んな取り組みにも積極的に参加 し、心の充実感も得られる。そ
うすれば島の住民全員が生き生 きと輝く島づくりができるので はないかとの結論を得ました。 今年八月、海援隊の協力をい ただき、島の人全員が社員とな
る「電脳笠岡ふるさ島づくり海 社」(通称・島海社) を設立し、 島は新たな一歩を踏み出しまし た。「会社」ではなく「海社」 としたところが工夫の一つです。
これは、本社として社長を筆 頭に企画部・開発部・営業 部 観光部・IT推進部を置き、支 社として各島に支社長がいて、 島の住民は支社に所属するとい
うものです。 具体的な例をあげますとフイ ルムコミッションがあります。 これは、真鍋島で映画のロケが 数回行われたことをヒントにし ています。八四年公開の夏目雅
子さん主演「瀬戸内少年野球団」 や、萩原健一さん主演の「渋滞」 のロケ地として有名です。
この経験を各島へ広げていき、 ロケの誘致による島のPRと経 済効果を期待しており、島海社 の重要なプロジェクトと位置付 けています。方法としては、各
島には観光協会がありますが、 そこが島の名所や特徴的な場所 をピックアップし、ホームペー ジ等で情報発信します。笠岡諸 島は七つの島があるので、それ
を強みとしてPRしていきます。 打診があると宿泊の手配、交通 手段の確保、許認可の手続き等 は観光協会が一手に引き受け、 島間の連絡調整は本社の観光部
が行うのでスムーズな対応がで きます。実際にロケが行われる と、経済効果と宣伝効果がもた らされるという仕組みです。 これは一例ですが、さまざま
な分野で島が一丸となり、島海 社を成長させていく覚悟です。 地場産業に陰りが見え始めた とき、みんなが島の将来に不安 を抱いていましたが、これとい
った行動を起こしませんでした。 そして現在、分かったことは 「未来は与えられるものではな い、自らの手でつかみとるもの」、 「チャレンジしなければ何も変
わらない」 ということです。 島海社の設立は、島が飛躍す るチャンスでもあるのです。島 の住民が島海社を通じて「○○ をしたい」という夢を実現させ
てほしいと願っています。
笠岡諸島には「高齢者」はた くさんいますけど「老人」はい ません。高齢者であっても、精 神的な若さを持っていればいつ までも「若者」 でいられます。
ですから、六五歳以上であって も時代の変化を読み取り、それ に対応する柔軟な発想ができる 人が暮らす笠岡諸島は、「いつ までも輝きつづける島」である
ための歩みを止めることはない のです。
鳴本浩二
(笠岡諸島「島をゲン キにする会」会長) 石材業で知られる北木島生ま れ。48歳。「いつまでも島に住 み続けたい。それも、以前のよ うに子どもの笑い声が響き、
石を切る機械の音が鳴りやむ ことのない島で」と願い、笠岡 諸島7島でつくる「島をゲンキ にする会」の会長、さらに、 島おこしのため今年8月に発
足した「電脳笠岡ふるさと島 づくり海杜」の社長も務める。
この記事は平成14年12月発行 「しま」192号から抜粋したものです。
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